人生初のセーター(自分の)。今日は一日中音楽を聞いた。編み物しながらインターネットでビョークを聞いて、今、この瞬間、わたしがインターネットで聞くためにビョークさんはこの曲を作り、誰かがGroovesharkにアップしてくれたんだな、と思った。日本という国において、団塊の世代が全てのツケを子、孫世代に負わせて逃げ切ろうとしている様相があからさまになって来た今、それでも自分より上の世代はこういう風に下の世代に捧げている、わたしは素晴らしいものを受け取っていると思った。世界の誰かが、誰でも良いのだ、わたしは自分の感性をビョークに育ててもらった部分が、多分、確実にある。そうやって、どんな時代でも、自分と向き合って自分自身を生きる事から逃げずにいる何割かの人は、たくさんの贈り物を下の世代に渡してくれているんだな、と思った。自分を育ててくれるのは、何も自分の親でなくても、どこの国の誰でもいいんだと思った。本屋で編み物の本を見つけて、その本を開いて、素晴らしい作品ばかりで、それはわたしが編み物が好きだなと思う事を深く肯定されているような気持ちになる程で、その本を書いた人が自分の人生で戦って守ったもののことを考えた。「家族の風景」という歌の「愛しい距離が」という歌詞の言い方が、とても複雑な色の肯定感を持っているような気がして、痛みがあるというのは弱いこととは違うのだな、と一つ知る。多分わたしは、借金だらけの、補修が必要な広大なインフラばかりの、汚染された土地で子供を育てなければならない世代だろう。団塊の世代が、高い生活水準と高度な医療とお金があることが幸せだと信じるなら、全てのツケを後世に回してでもそうあるのが幸せだと信じるなら、そうするしかない、そうしたらいい。高度経済成長期に幼少期を過ごした世代はアイデンティティを設定するのに苦労しながらどんどん癌になっていく。でもその中でマイノリティを選んだ、自分自身が幸せと感じる人生を生きるためにマイノリティであることを受け入れた人達の、今に続く流れがあって、彼らが見つけた素晴らしい物はちゃんと渡されているのだと思った。
人生初のセーター(自分の)。今日は一日中音楽を聞いた。編み物しながらインターネットでビョークを聞いて、今、この瞬間、わたしがインターネットで聞くためにビョークさんはこの曲を作り、誰かがGroovesharkにアップしてくれたんだな、と思った。日本という国において、団塊の世代が全てのツケを子、孫世代に負わせて逃げ切ろうとしている様相があからさまになって来た今、それでも自分より上の世代はこういう風に下の世代に捧げている、わたしは素晴らしいものを受け取っていると思った。世界の誰かが、誰でも良いのだ、わたしは自分の感性をビョークに育ててもらった部分が、多分、確実にある。そうやって、どんな時代でも、自分と向き合って自分自身を生きる事から逃げずにいる何割かの人は、たくさんの贈り物を下の世代に渡してくれているんだな、と思った。自分を育ててくれるのは、何も自分の親でなくても、どこの国の誰でもいいんだと思った。本屋で編み物の本を見つけて、その本を開いて、素晴らしい作品ばかりで、それはわたしが編み物が好きだなと思う事を深く肯定されているような気持ちになる程で、その本を書いた人が自分の人生で戦って守ったもののことを考えた。「家族の風景」という歌の「愛しい距離が」という歌詞の言い方が、とても複雑な色の肯定感を持っているような気がして、痛みがあるというのは弱いこととは違うのだな、と一つ知る。多分わたしは、借金だらけの、補修が必要な広大なインフラばかりの、汚染された土地で子供を育てなければならない世代だろう。団塊の世代が、高い生活水準と高度な医療とお金があることが幸せだと信じるなら、全てのツケを後世に回してでもそうあるのが幸せだと信じるなら、そうするしかない、そうしたらいい。高度経済成長期に幼少期を過ごした世代はアイデンティティを設定するのに苦労しながらどんどん癌になっていく。でもその中でマイノリティを選んだ、自分自身が幸せと感じる人生を生きるためにマイノリティであることを受け入れた人達の、今に続く流れがあって、彼らが見つけた素晴らしい物はちゃんと渡されているのだと思った。