| 20131118 |


 この間の夕焼け、なんだか雲がぽこぽこしていて思わず見に行ったよ。夕焼けがかっこいい日に夕焼けを見られるとラッキー。今日は雲が無くて、あたりの街路樹の紅葉した葉がきらきらしてすてきでした。放射冷却で日が暮れると寒くなるから、洗濯物は早めに取り込まないとなあと思って、干したバスタオルを掴んだら既に冷んやりしていた。休日に旦那さんが、ハッピバースデーの曲をプレゼント。一音一音大切にするってことが表現なんだなと思う。だって必要じゃない子(音)はなくて、どれも比べられないくらい大切なんだもの。ここのところ身体が好むものと好まざる物の変化が大きく、そんな時参考にしている本があって、その本にドライフルーツを水で煮ると満足感があるというのでプルーンでやってみた。とても美味しいです!小松菜をミキサーにかけて、牛乳(または豆乳)で割ってスープにするというのもあってやってみる。身体に良さそうだが、思った以上に美味しく無い。お散歩の途中で寄った本屋で、小松菜のスープのレシピを立ち読み。玉ねぎとか色々入ってるのを見て、そりゃそうだ、小松菜と牛乳の味しかしない訳だわ、と思う。家に着いたら、鉄のフライパンでにんにくと玉ねぎを炒めて、トマトのホール缶と残りのスープに投入、ともこのオリジナルレシピ。ブレンダーにかける。色が悪いけど、かなり美味しくなりましたよ。クレソンとか入れたらもっと美味しそう(全然違うものに)。新しい生活になってから、花瓶を初めて買いました。今白いお花がいっぱい咲いています。昨日は旦那さんが秋の野菜を天ぷらしたので、今日は雑巾をかけました。おおむねいい感じです。今日がおおむねいい感じであること以上に欲するものはありません。わたしが伴奏をしている歌の生徒さんが、御歳80を越える若々しい女性ですが、幸せな時って、お風呂上がりに洗いざらしの着慣れた肌着を着る時だと仰っていました。わたしは以前は、幸せって、夜の荒波の中の灯台のようなものを目指していました。今周りの環境に満足する物は何も無いのだけど、キラっと現れるまぶしいくらいの光がどこかにあるのだと信じて揉まれ続けることが、幸せに至る道だと思っていました。今は、日なたの草むらに座っていることのように感じています。その範囲をこつこつ広げることに時間を使えたらいいなあと思う。嘘をつかずに、こつこつ自分と向き合っていく、いつもそうあるのは難しいし、見たく無い物もあるという人もいるかもしれない、でもそれを避けるとその分遠回りになってしまう。反発するものを力で押しのけると、恨みを買ったり、肉親を裏切ったり、恩を仇で返してしまう。そうせざるを得ない、それ以外に道を取れない、不器用で純粋な人もいて、大変な力で、自分を誤摩化ずにいる先に、キラっとするものをつかみ取るが、それは常に自分が波を被り続けていることとイコールなのだ。嘘をつかず、反発するものを遠ざけて、だけどなるだけ自分にはそのマイナスのものを受け取らないように、カルマを負わないように、時間をかけてもつれているものを解きほぐして、乱暴に切ってびっくりさせないように、だけど我慢して自分が軸をずらしてしまうことが無いように、そんな神様みたいな芸当、無理だよ!だけど、うまく行った分、そこはわたしの居場所になる。いつ居ても、常にある、常に感じることが出来る。でもまだわたしの日なたは小さくて、寝そべると、足がちょっとはみ出るんだけどね…。