| 20140120 |

 プリンを食べる。このプリンが劇的に美味しい。日にちを置くと熟成するというプリンで、1日目、3日目、5日目、と食べてみた。美味すぎる…プリンを越えている…。金で買える幸せのうちのトップレベルに入る幸せ。ムツゴロウさんのお蔵入りインタビューというのを見つけて、発狂した老人に銃を突きつけられて、殺されるかも知れないと思った時に、「まあしょうがねぇか。一発ぐらい見舞われても死ぬだけだ。鉄砲なら瞬時に死ぬからいいや」と言っているのがかっこ良すぎると思った。自分の恐怖の出所が自分で分かっていたら、誰に何を言われようとも、それをどういう態度で応えるか、腑に落とした判断出来るはずなのに。その日の夜、銃を持った強盗に家に入られる夢まで見てしまった。毅然とした態度を取る前に目が覚めた。全てが変化するエネルギー体である、という視点を知っていて、それを持ちつつ物事を考えられる人の言ってる事の、いちいち腑に落ちる加減はすごい。脳卒中になった脳科学者のプレゼンテーションの動画を見る。一言一句、無駄な言葉がなく、時に抽象的な内容なのに、非常に分かりやすい素晴らしいプレゼンテーションだった。休日旦那さんにも見せる。2度見た後彼は速攻でその脳科学者の書いた本をアマゾンで買って実家に送り、その後街で自分にも1冊買ったので驚いた。他人のブログで紹介されていた、ウルグアイのムヒカ大統領のスピーチも見る。わたしはこういう時、文字に書き起こしされているものの方が分かりやすいと思って読んで終わりにしてしまうんだけど、動画も見た。すごかった。カンペを何も見ないで、自分の言葉で話していた。カンペを見ていないのがすごいのではなく、脳科学者の(ジル・ボルト・テイラーさんという)動画も同じなんだけれど、その人が、そのままでいて、頭の中に持っているイマジネーションを言語に置き換えたとき、ライブで、それがどこにも破綻の無い、過不足の無い、完璧に完成されている、という、人は実際は常に完全な状態である、という人という生き物の能力の高さを見る事が出来ることについてであります。ちまたで有名なパン屋さんに、朝早起きして、電車を乗り継いで向かう。富士山がバーンと見える、ケヤキに囲まれた遠くの地で、偶然知人に会う。有名なのも美味しいのも数年前から知ってたけど、実際お店に行くのは初めて。よく食べられるなってくらい、いくつもパンばっかり分け合って食べた。庭のシジュウカラが遊んでるのを見ながら、無我というか、脳みそが温かい海に浮かんでるみたいな感じだった。最近その存在を知った、かわいいさで評判のエナガが、結構普通にいると言う。が発見ならず。寝る前、テイラーさん言っていた事を少しでも実践出来るかなと、右脳を解放するイメージをする。その時感じたのは、クジラは海全体の周波数を安定させているということ、イルカは精鋭チームだということ、シャチはひとつの種が増えすぎると水が汚れるので、増えすぎた生物を食べることで海が汚れるのを防いでいる、ということでした。そうか、ソナー…!それで…。なんかな?翌朝のイメージは、木の実は土の一部分、野菜は水の一部分、動物の肉は岩の一部分、穀物は風の一部分、木は地球と宇宙の間のストローの集合体みたいな、ちょっと違うような、なので、木と木の実はエネルギーの種類が違うらしい、でした。ムヒカ大統領のスピーチを受けてではないが、わたしは陰謀論を一生懸命語る気はないけども、ある種の人々が世界の人口を減らそうとしていることについては「だろうなー」と別に異論を持たない。『母に捧げるバラード』の「働いて働いて働きぬいて休みたいとか遊びたいとかそんな事おまえいっぺんでも思うてみろ そん時はそん時は死ね」とか、美輪明宏さんの「給料は我慢料」とか、なんか全然しっくり来ない。むしろタモリさんの「やる気のある者は去れ」に断然じーんと来る。多くの人が言っているように、悪意より人の魂や人間という生物に搭載された物が持つ可能性の方がスケールがずっと大きい。悪意の実行は脳の可能性のー部分だ。脳に積んでるアプリの一つ。社会という巨大なタスクを、広範囲に滞りなく実行させるには、罪悪感というのは割合大きな要素だなと、社会から離れるとそのように感じる。でも罪悪感というスクリプトは、ある時期に左脳が書いたもので、元々は無かったし、右脳にはずっと無い。わたしには世界の秘密が知りたい、自分のことを知りたい、という欲求がずーっとあって、数年前から調べたり勉強したり考えたり話したり、ずーっとしていて、今日も「トイレットペーパー買いにいかなきゃ」と思いながら、考えている。いつものコーヒー屋さんの新しい豆で挽きたてをドリップして、そして残しておいたパンを食べる。ライブで完璧に破綻がない、完成された、というのは音楽では、素晴らしい演奏、という形でまま成立する。今しかない、この瞬間存在している、自分の今が全てになる、びびびっと体感する、を音楽によって経験することはある、でも音楽は右脳で聞くらしい。左脳をつかう言語で同じような時間空間を構成出来るって、音楽で成立するよりハードルが高いんじゃないか、とか。でも10分とか20分だったら、それほどでもないのか?とか。