| 20140202 |


 「幸せになりたいとか、そういうんじゃないんです。サバンナに行きたいとか、ツンドラが見たいとか、トウヒの森に入りたいとか、誰かなのか、何かなのか、何かがわたしの価値を決めるんじゃないんです。社会にとって価値がある人間かどうかじゃないんです。この世がわたしにとって価値があるかどうかなんです。わたしが、今の身体を使って、まだ経験したい事があるかどうかなんです。目的はありません。ゴールはもっとありません。経験しなきゃいけないのでもないんです。むしろそれしかすることはないんです。それ以外、地上ですることはないんです。遊びにきたんです。やってみたくて来たんです。知りたかったんです。知らなかったんです。それがこんなに辛いものだと。もっと楽しいと思ったんです。もっとエキサイティングで、ここにしかない何かがあるんだと思っていたんです。それをしにきたんです。まだ体験していない、経験してみたいと思う事。それをすること。それを思いつかなくなるまで。嫌になるまで。止めたくなったら還るんです。それ以外の要素は、みんな幻です。自分の価値を信じられなくなってる。身体が汚染されて、はっきりと物を考えられなくなってる。全く同じ物が存在しない。全く同じ人間がいない。これだけのことが、本当はものすごいことなのに、そうであるということの中に全てが詰まってるのに、いつも見ているのに、いつもいつもその叡智の全てを見ているのに、そこには脳内に壁を作って、そのことは見えなくなっていて、壁で囲った箱庭の中で暮らしている。小さな街、電車、職場、世界地図、知っている言語。その中に世界が収まっていると思っているけど、本当は全く逆なんです。た・た・き・こ・わ・せ!」曇ったり晴れたり。最近の我々夫婦はパン作りに熱意を、というか旦那さんがパン作りに熱意を燃やしていて、酵母作りから、やっとうちのガスオーブンがそれっぽい活躍を、そしてパンを作るという共同作業を通して、毎週ケンカばっかり! 右脳でパンと触れ合っている彼と、左脳でパンの教本と向き合っているわたしで、1つの行為の目的がまるで一致してない、おいしいパンが焼けるようになりたい、というのは一致しているのに不思議、でも前回の日記で既出の脳科学者の人のお陰で、お互いの脳がどう現実を、自分を、パンを、ひとつのことがどのようなプロセスを経て出来るようになるかを、認識しているかがある程度分かるので、遊園地の迷路みたいに迷っていることも、どこかの方向に会話が進んでいることも、客観的に楽しむ余裕がある。そして割合、どう作っても一応パンになるんだなーと、とってもいい材料なので、まずいというより、おいしい。奥も深いんだろうが、懐も深いぜ。酵母達! そして酵母っていう生き物もすごい。パンって何なのかよく分かってなかった。酵母だった。発酵食品。苺とかレモンとかでも出来るんだよ、本買ったよ。白神こだま酵母は土だってよ。パン屋さんの記事で、酵母と共に暮らす、って感覚がすごい豊かだなあと思った。家にいるいい酵母が増えるように、掃除したり、天然素材にしたり、洗剤を止めたり、やっぱり埃っぽいとか黴っぽいと、酵母が負けそうな気がするもんな、掃き清める、っていう感じ、神社の清々しさみたいに、そこには色んな微生物がいるんだけど、クリーンっていうのは決して無菌な状態ではなく、色んな微生物の共生したり、弱い物を土に帰して、っていうポジティブとネガティブの営みの…ってもしかして、場のポジティブさとネガティブさって微生物による?微生物のこと?!