今朝の朝ご飯は昨日焼いたたまねぎマフィンと、野菜のオーブン焼き、クスクス、ハーブティー。美味しいレシピは本当に有り難い。バターを使わないマフィンはふわふわで軽くて、また作りたくなる。昨日はほぼ日のコンテンツを見ていたら面白くて、昔のやつとか色々、日がな見ていた。特に料理系。「うまそうだな…うまそうだな…」と呟きながらハートが捕われて離れられない、この、ほぼ日スタッフ入魂のテキストと写真の、これでもかという雰囲気と豊かさと一流の人達の精神と「これ絶対美味い」を味わいつつ、味は味わえないという欲求不満の極みね!昨日は宅配のお野菜が届いたので、ほぼ日で見つけたイタリアンの簡単なレシピをやってみる。味付けは塩とチーズの塩気だけなのに、レシピからは想像出来ない程、信じられないくらいうまい!!イタリアンって、野菜が新鮮だと別物なのね。ご飯にしっかり満足感があると、食後にお茶とか甘い物とか欲しくならない。何かがほんの少しでも足りないと、デザートが欲しくなるんだなあと思った。最近わたしが作るご飯は結構いい加減で、だんだん頭がゆるくなってきてるのか、「この食材使った方がいいからこれ使った料理、であとはそれに合うやつ、だから明日の朝ご飯はこれとこれ」みたいなことが考えられない。明日の朝パンにするかご飯にするかも考えられなくなってる。そして料理を作る小一時間、立ってるのが辛い。料理に集中出来る豊かさみたいなのに飢えてるんだわね…。でもそのかわり、「なんかおやつ作る、なんかおやつ作る」とおやつのことはしょっちゅう考えている。なんだろねこれ。今はグラノーラが作ってみたい。あとあんまん。皮作って蒸すやつ。食べたい…。臨月の、いつ産まれてもいい、いつ産まれるか分からないっていうのは、結構、気持ち的にどうしてたらいいのか戸惑う。考えてみたら現代は脳化社会で、予定ってのは確定した未来だからなー、確定していない未来の予定が基本的には無いもんなー。そして安心の代わりにフレキシブルさを失っている。まあ、心の持ちようは、人それぞれ丁度良いやり方は違うよね。病院によっては、出産予定日に促進剤打って産ませるらしいけど(もちろん予定日の前に産まれることもあるだろうけど)、スケジューリングされてるってのは、何割かの不安と対峙しなくて済む、その楽さを望む気も分からないでも無い。でも本来起きるはずの自然のメカニズムが胎児や母体に及ぼす影響を、重要でない、もしくはそういうものがあると感じない、人が、そういう出産法を望む訳で、わたしが望むのはむしろ逆ベクトルの、「このチャンスに本能とか今まで使われれずにいた野性的機能を使いたい!そして何を感じるのか知りたい」という方向なので、テーマが違うと言えば言える訳だから。育児法なんかも、これが万人に最良っていうのは存在するのかもしれない、でも実際やる人間の性格でそれぞれ全然別ものになってしまうのだから、母側と子側の性格によって、実際に丁度良い距離感みたいのも方法も全然異なる。ここに一元的な方法論とかアドバイスの限界があるよなと思う。母同士、子同士の性格が似ていたら、アドバイスは有意義だろうな。でもわたしは自分と似た人に会ったことが無い。ところで、気が早く5月くらいに既に注文していたママバッグがよく見えるところに置いてあるのだけど、糸の色を変えて作ってもらったママバッグとか、既に届いているディディモスの抱っこひもとか、タマちゃん(胎児)と使うのがとっても楽しみだ!