| 20141102 |

 実際には、人は、日常的にに魔法を使っているんだなあ、無意識に。ほっとする言葉、もやっとするメール。民男さんのイージューライダーの終わりのくだりの歌詞が好きなんだけども、すごい人生の肯定感を感じる。もしも彼の当時のスタイルが、ショウビズの頭のいい誰かが演出した戦略だとしても、それでも彼の言葉に魔法がなかったらこんなにも心打たれないと思う。テニスコーツの植野さんのブログも、読むとほこっとする。時々まとめて読むと、さーっと気持ちのいい風が吹いて、ポジティブでクリエイティブなことに時間を使おう、という気持ちになる。どうしてだろう?読み手に対して何かを訴えたり、アピールしたり、指示したりすることが一切全く無いのに、自分の中に自覚無くもやついてるネガティビティがすっと整理される。すごいなあ。本当はものすごい人なのかなあ。だけどそういうこととは別に、というか同じく、人々は日常的に言葉の魔法を使っているのだ、ということにこの間気が付いた、ポジティブなものと、呪いの言葉と。無意識に。無防備に。ある人のネガティブな視点は、その人のその瞬間だけのものなのだけど、それを愚痴ったり共感を求めたりするのは、その人固有のネガティビティを他人にもお裾分けすることになってしまっていて、それって呪いをかける行為だなあと感じる。臭い匂いみたいに、発音しただけで、他人に見えるように書くだけで、実際には関係無い通りすがりの人にまで多少の影響を与える。そういうことって、小さなことだけど、繰り返してると大きなカルマになっていく気がする。そしてわたしはかつて、毒ばかり吐く人だったので、今後はこつこつ清算していく人生です。罪深いことです。お医者がよく、考え得る最悪のケースを事前に丁寧に教えてくれたりするけれど、それは訴訟とかのリスクマネージなのかもしれないけど、だけれども、それは、一種の呪いだと思う。今現在ここの地点から、あらゆる可能性の中の一番悪い現実に向かってその人の頭の中で線を繋げる、現実に近づける呪い。いけないことだと思う。普通の人が普通に日常で使う、「ありがとう」とか「元気でね」とかも、そこには魔法が入ってる。こんなにも人は祈りとか気を、言葉に乗せて渡してるんだ、と、突然込められた言葉に想いの濃度が目に見えるような気がして、びっくりしたのです。音楽には時々、人をまるごと肯定するような、人生を、肉体を持って今回の生を地球で生きることを喜び、サポートしようとする祈りのようなエネルギーがあって、それって言葉やメロディーを使って他人に光の波動を伝えられるということで、それって上等の魔法が使える人と言っていいのじゃないか。努めてポジティブな魔法を使うようにしよう、そして身の回りの人もそうである人達の中にいたい。自分の使う言葉にもっと魔法が込められることが見えてしまって、それもちょっとびっくりしてるのです。ところで、虫歯は想定以上の悪い事態で、でも可能な範囲で最善の処置をしてもらいました。先生といいコミュニケーションが取れました。感謝。自分で思っていた以上にわたしは自分の歯を愛してるようだ。お子は無事1ヶ月健診を終了、順調に育っています。そしてそれは決して当たり前のことではないのだと、出産時の入院を通して知る。「妊娠・出産」とは、「子が出来る・産む」という誰にも一律のことが起きるのだと思っていたが、それぞれ一人一人に違うドラマが起きる、決してひとくくりで一言に出来ない出来事だった。知らなかった。自分にお乳という、超高機能な精密装置があることも知らなかった。今日得た寝かしつけの極意、『左脳でなく右脳を使って。ダンスを踊るように』。誰かにお乳をあげらる人生っていいなと思った。知らなかった。愛情は日々育って大きくなっていくものだった。わたしの場合。とにかく誤摩化さず、嘘なく接したい。そういえばYくんに会った時もそうだったな。出会った時は何でもなくて、その日のうちに特別な誰かになって、日々こつこつと掛け替えのない人になったんだった。考えて見るとあたりまえなのだが、不思議なことだ。これはあくまでわたしだけの感覚だけれども、産んだ直後、お腹の上に取り出された我が子は、自分が産んだのだけれど知らない人なのだ。どんな人か。名前もまだない。顔は知らなくてもコミュニケーションは取っていたのだから、遠くのペンパルのようなものか?ただし自分のものでは決して無い。わたしのの身体と機能を使ってつくられたけれども、地球が、というか神さまがこの世に送り出したわたし個人を超えた存在だ。別の人間だ。はじめましてから始まって、お世話をさせて頂きます、おしめ、おっぱい、全部、そして伝わってるなという実感が、信頼関係を深めていく。それらが滞りないように自分を整えておく。そういう感じがしている。