| 20141208 |


 誰にとっても人生が大きく動く時というのはあるものだと思うが、今まさにYくんがそんな感じ。日々ぐいんぐいんと音をたてて動いているので、わたしはソファでお乳をあげながら、広いところに繋がった気持ちを保つような気持ちでいる。どこかしこが痛いとか固いとかあるけど、毎日たくさんご飯食べて寝て起きています。とにかく悩まない。軽やかに反応していく。だって考えてたら変化のスピードについていけないんだもの。考えるって不安をこねくり回すだけなんだもの。恐れが追いついてくる前に、思考を止めて、走り去れ、未知なる前方に。先日、2か月振りに駅前を一人で歩く。モスバーガーのリッチココアを飲んだら、家に着く頃にはニキビになっていた。だめなのね…もう…。去年の手帳には「モスのリッチココア、おいし」と書いてあるのに、最高にデトックスされた身体にはエクストラが多いらしいや。物欲と使い捨ての意味は、便利な都会の暮らしそのものだ。トイレットペーパー買うにも車で50分、とかだったら、物は繰り返し使用可能なもの、修理が利いて長く使えるもの、構造のシンプルなもの、になっていくのか。持続可能なもの、エシカルなもの、サステナブルなもの、レジリエント、のコンセプトに共感して、オーガニックを、フェアトレードを、何かを買う、というお金を挟んだ関係から、つまり自分はそうじゃない、という関係から、都会から遠く離れるだけで、自分がそのものになる、自分の生活がサステナブルなものに変化する、なんだかすごーく他力的で簡単な話じゃないか、もっと思想とか意志の強さとかのことのように感じていた。つまり環境。そうか~…そういうことを言っていたのか、みんな、田舎へ移住すると、「思考が変わって」「自然に生かされいている」「地球の一部である」「別人のような」みたいなことを言う、それを都会で聞いて「ふーん、そんなもんかね」本当は都市がサステナブルなものであったらいいのだ、けど資本主義はそれと共存出来るようには出来ていない。もっと持続可能な、もっと自然に優しい在り方で生活を、と、まだまだ足りぬと上には上がと都市生活を送っていたとして、結局物欲と使い捨ての環境から離れれば意志と関係無く自然とそのような在り方になるのじゃないか、パーセンテージは人それぞれだろうけど。とかなんとか。