| 20130424 |

 ベランダで育てているハーブが、もう3年目になるのだけど、タイムが初めて花をつけた。園芸好きな奥様と知り合いになった時、園芸用のハーブは一年草だと言われたけれど、一見枯れ木のようになりながら毎年頑張って冬を越してくれています。今週は新しい家具が入って、わたし達のお家がネクストタームに入ったんだなという感じがします。なんか変な天気が続いていますが、今日は雨かと思って外出の予定を控えましたが、暗くなるまで降らなかったよ。朝起きて、近所の子供達が小学校に行くのが聞こえて、しばらくして家で昼ご飯を食べ、またしばらくしたら下校する小学生の声が聞こえた。時間にするとそんなでもない時間、でも小学生の時、そこでの時間が世界の殆ど全てだったの、不思議だな、今でも強く思い出すもの、今でもあの時間を生きていたことが、自分に影響しているということがすごい。TVを置いていないので、大きな地震があったのをしばらく知らずにいたことに驚いた。TVが無いと、情報は基本的にはある指向性を持って能動的に得るものとなり、指向により出来る知ってる事と知らない事の差が、数年蓄積されると結構個人の独自さを作ってしまっているのではないか、という気がしたよ。毎日知りたい事しか知ろうとしないので、今や知りたい事は随分分かったし、それはここ数日、原始数学者がゼロの概念を発見したように、モノクロ映画がカラーになるように、そしてゼロを発見した後はゼロを知る前の脳の状態には戻れないように、黒色のドレスだと思っていたものが、赤のドレスとしか認識されないように、世界の認識が新しくなってしまった。違う人になってしまった。ちょっとぽんわとなっています。でも前より希望に満ちています。そのうち友達と夜空にUFO見に行きたいです。ま、まだ当分いいけど。わたしは何がどうあるべきかなんかは分からないけれど、自分が「なんかこういう方がしっくりする」というのがちょっとだけある。それは昔の日本人が、あるいは今のどこかの民族が、生活に必要なものは自分で作るように、自分で作り出せるもので、本当は心は満足するのじゃないか、でもそれは生活水準の後退でなく、淘汰され磨かれきった今も手作業で作られているものの持っている世界の豊かさ、一個の宇宙、それらの物、道具が作って行く当たり前の生活の営み、それぞれが自分の生活を自分で作り、得意なものを交換し、美味しいもの、丈夫なもの、美しいもの、楽しませるもの、音楽のように時間の密度を濃くするもの、アートのように記憶に寄り添うもの、価値を共有しあえる人々が、土地を共有し合う、それは手の届く距離にいる人同士、歩いて行ける土地のローカルさこそがつくれる豊かさじゃないのか、だけどそうやって望む土地を目指して移動することもできる、そこのリベラルさがグローバルさじゃないのか。遠い国の誰かを幸せにすることなんて出来ないよ。彼らはまず彼らの土地で自分が幸せになることをして、自分達は自分の土地で、自分が幸せになることをするしか。