九州で地震があって、わたしなりに、わたしが頭の中でやりとりしたこと。中央構造線、移住して1年の瀬戸内海、伊方、震源地が移動していること、「自分はどうしたらいいんだろう?」というビジョンのベースにあるのは不安だったのだけれど、そこで「この地震がどういうものであるか?」問いかけて、心の中で九州を見てみた。みんな頭の中の現実を生きていて、それは誰一人とも被らないわけだけれども、脳というのが単に考えたり、知覚したことを脳内のある分野で2次元のとある世界に構成し直しているだけじゃなくて、レシーバーだという考えに出会ってから、わたしの欲求は「もっと多次元のものを認識したい」で、時々直感を受け取ることもあり、あるいは偶然見るぞろ目に自分より大きなもののサポートを感じたり、そんなふわっとしたレベルではあるけれど、わたしなりに自分を構成する元素と宇宙を構成する元素が同じで、それを生み出したクリエイターによる圧倒的な肯定感にリアリティを持ったり、涙したり、リカバーをお願いしたり、日々している。だからこれはただ単に、わたし個人の現実なのだけど。九州に起きたことが、地球がこれ以上留めておけなかった蓄積したエネルギーを解放して起きた自然の地震で、その解放が出来るだけ地上のインパクトが少なく、広範囲であっても小出しに解放されるように、沢山の意識体が協力していることろだった。そしてもっとも地球はそのことに最大限の力を注いでいた。そうか、わたしにも協力出来るんだな、と思う。沢山の意識体が向けているのは、光、愛、感謝、気、などと言葉にすると色々言えるのかもしれないけれど、高い波動のエネルギーということだと思う。そしてそれが日本で起きた、その意味は、「この出来事を期に人々が本質的な学びを得始めている」、それは「目に見えない愛とかつながり」が「経済的な価値・快適さ」よりも地上に必要なことかもしれない、その為の具体的な1歩を躊躇していた人がそちらに歩み始めた、そして経済的な価値観が社会の中で高度に完成されている日本でこそ、その逆の方へのシフトで生まれるエネルギーが大きいのだと、それは地球が抱えてきた解放するべきネガティビティをスムースにリリースするのに、重要なのだと。わたしも瞑想して、沢山の意識体の一つに加わってみる。この地震はもしかしたら、人々がより本質的な暮らし、つまりサステナブルな方法を実践するまで続くのかもしれない、あるいは強制的にそうさせるものなのかもしれない。だけどそれは経済的な豊かさが無になるのではなく、サステナブルな暮らしとは、自己と出会うものなのだ。と、そんなところでふと現実に戻ってみる。わたしは都心で被災することにものすごく恐怖があったので、移住に対して子供を生んでからのモチベーションが高まったのだった。そうそう、「自然のあるところで子育てしたい」と思ったのではなく、都心で被災した場合、赤子を連れてノーマルに生き延びられるか?ということに全く自信が無かったのだった。都市の在り方そのものがサステナブルじゃない、サステナブルじゃないものに不安があった、そして今は山がある、薪がとれる、窯がある、井戸水がある、畑がある、果実がある、魚も鳥獣も獲れる。ちょいちょいっとやれば掘建て小屋なんか建ててしまうおじいさんたちがあちこちにいるのだ。今は筍採れ放題、昔冠婚葬祭を地域でやっていた名残の大きな鍋や釜を今も持っている人もいるという。炊き出しも出来る。そして、ここが本当に一番の強みだと思うが、近隣の住民が皆顔見知りなのだ。こんなの、地方じゃ当たり前なのかもしれないが、都市に育ったわたしはそんな可能性をちょっとも感じたことが無かった。それは人が人をフィードしている、といったもの、わたしの体感ではね。何もネガティブじゃない。政治家や政治が、本質的に人々の望んでいるものと違った方を向いている、ということに人々が気づいて行くと、それを解決するのが自治を成熟させるということろにたどり着くのではないだろうか?それは近代の日本人が嫌い続けてきたものではある。わたしは政治が無い方が人々は幸せなのじゃないか?と思うが、自治とは例えば、わたしが今日参加したように地域の清掃を地域の住民同士で協力してやる、ということである。わたし達家族の中ではそのプライオリティは高い。それが高いプライオリティを保たない限りその習慣が消えることを、あらゆる地域の自主的な習慣が消えた都市に育ったものでよく感じているからである。それがプライベートの用事や経済活動より優先事項であるということを、人によっては受け入れにくいかもしれない。でも政治という当事者でない人たちによる何か良く実態の分からないものに生存をゆだねるよりも、そこに住まうものがハンドルすることで得られるものはやはり本質的な何かなのではないかと思うのだ。あとは米さえあれば(少量作っている)。
九州で地震があって、わたしなりに、わたしが頭の中でやりとりしたこと。中央構造線、移住して1年の瀬戸内海、伊方、震源地が移動していること、「自分はどうしたらいいんだろう?」というビジョンのベースにあるのは不安だったのだけれど、そこで「この地震がどういうものであるか?」問いかけて、心の中で九州を見てみた。みんな頭の中の現実を生きていて、それは誰一人とも被らないわけだけれども、脳というのが単に考えたり、知覚したことを脳内のある分野で2次元のとある世界に構成し直しているだけじゃなくて、レシーバーだという考えに出会ってから、わたしの欲求は「もっと多次元のものを認識したい」で、時々直感を受け取ることもあり、あるいは偶然見るぞろ目に自分より大きなもののサポートを感じたり、そんなふわっとしたレベルではあるけれど、わたしなりに自分を構成する元素と宇宙を構成する元素が同じで、それを生み出したクリエイターによる圧倒的な肯定感にリアリティを持ったり、涙したり、リカバーをお願いしたり、日々している。だからこれはただ単に、わたし個人の現実なのだけど。九州に起きたことが、地球がこれ以上留めておけなかった蓄積したエネルギーを解放して起きた自然の地震で、その解放が出来るだけ地上のインパクトが少なく、広範囲であっても小出しに解放されるように、沢山の意識体が協力していることろだった。そしてもっとも地球はそのことに最大限の力を注いでいた。そうか、わたしにも協力出来るんだな、と思う。沢山の意識体が向けているのは、光、愛、感謝、気、などと言葉にすると色々言えるのかもしれないけれど、高い波動のエネルギーということだと思う。そしてそれが日本で起きた、その意味は、「この出来事を期に人々が本質的な学びを得始めている」、それは「目に見えない愛とかつながり」が「経済的な価値・快適さ」よりも地上に必要なことかもしれない、その為の具体的な1歩を躊躇していた人がそちらに歩み始めた、そして経済的な価値観が社会の中で高度に完成されている日本でこそ、その逆の方へのシフトで生まれるエネルギーが大きいのだと、それは地球が抱えてきた解放するべきネガティビティをスムースにリリースするのに、重要なのだと。わたしも瞑想して、沢山の意識体の一つに加わってみる。この地震はもしかしたら、人々がより本質的な暮らし、つまりサステナブルな方法を実践するまで続くのかもしれない、あるいは強制的にそうさせるものなのかもしれない。だけどそれは経済的な豊かさが無になるのではなく、サステナブルな暮らしとは、自己と出会うものなのだ。と、そんなところでふと現実に戻ってみる。わたしは都心で被災することにものすごく恐怖があったので、移住に対して子供を生んでからのモチベーションが高まったのだった。そうそう、「自然のあるところで子育てしたい」と思ったのではなく、都心で被災した場合、赤子を連れてノーマルに生き延びられるか?ということに全く自信が無かったのだった。都市の在り方そのものがサステナブルじゃない、サステナブルじゃないものに不安があった、そして今は山がある、薪がとれる、窯がある、井戸水がある、畑がある、果実がある、魚も鳥獣も獲れる。ちょいちょいっとやれば掘建て小屋なんか建ててしまうおじいさんたちがあちこちにいるのだ。今は筍採れ放題、昔冠婚葬祭を地域でやっていた名残の大きな鍋や釜を今も持っている人もいるという。炊き出しも出来る。そして、ここが本当に一番の強みだと思うが、近隣の住民が皆顔見知りなのだ。こんなの、地方じゃ当たり前なのかもしれないが、都市に育ったわたしはそんな可能性をちょっとも感じたことが無かった。それは人が人をフィードしている、といったもの、わたしの体感ではね。何もネガティブじゃない。政治家や政治が、本質的に人々の望んでいるものと違った方を向いている、ということに人々が気づいて行くと、それを解決するのが自治を成熟させるということろにたどり着くのではないだろうか?それは近代の日本人が嫌い続けてきたものではある。わたしは政治が無い方が人々は幸せなのじゃないか?と思うが、自治とは例えば、わたしが今日参加したように地域の清掃を地域の住民同士で協力してやる、ということである。わたし達家族の中ではそのプライオリティは高い。それが高いプライオリティを保たない限りその習慣が消えることを、あらゆる地域の自主的な習慣が消えた都市に育ったものでよく感じているからである。それがプライベートの用事や経済活動より優先事項であるということを、人によっては受け入れにくいかもしれない。でも政治という当事者でない人たちによる何か良く実態の分からないものに生存をゆだねるよりも、そこに住まうものがハンドルすることで得られるものはやはり本質的な何かなのではないかと思うのだ。あとは米さえあれば(少量作っている)。