| 20160609 |


 夜1時を過ぎると、もんもんとエンジンがかかってくるここ数日。昼間はまるでだらけた状態。夜クリエイティブな活動をしているので、脳がそういうタイムスケジュールになっているらしい。はっとする作品、はっとする空間っていうのは、やはり比類ない、みたことのないぶっとんだ世界観で、だが一つの宇宙として完全に成立している、ということだと思う。だからわたしは、己のユニークさを掘り起こし、それを陽にさらして風にあてて、ますますくっきりとはっきりとしたものに、それが行きたいところまで行かせることこそがチャレンジであり戦いであり、そうすることでしかわたしという生きた存在を樹立することは出来ないし、すでにいる輝かしい戦いをした諸先輩方の英知を活かすのにも、同じく戦っている同時代の若者方と、本質的なコミュニケーションをとるのにも、それをすることしか方法がないのだよ。だからためらわないよ。もうそっちの戦いをすると決めたのだ。気がついたらそうでなかったこれまでの時間がばかみたいにもったいないけれど、残りの時間の全部を使って。無難なものだったら、セオリーにのっとったものだったら、わたしでなくても誰がやったっていいのだもの。だけど自分の世界を掘り出して表現系として現実化するならば、もうそこに他者はどうでもよくて、自分、自分の中でそれが何であるか。うまくいったか、どのくらい、どのくらいずれているか。ゆとり世代から下は本質的な何かを、共通了解として持っているのじゃないか?なんて。物々交換のコミュニティ、涼しく暖かく、刺激が無く、美しく、動きやすく洗いやすい本質的な服装。ベーシックインカムと、能動的なクリエイションと労働。都市と田舎の交換留学。人がそれぞれ「違う」ということが、移住してきた者にはよく分かる。違いが尊重され、違いが有機的に機能しフォローしあう関係。希望もあるし可能性もある。だけど、本当に本質的なものしか持続可能な変化に繋がらない。だから無理をしない。無理が無い。強い力で撓めない。強制しない。歪まない。変化とはその人が望んだ状態に移行して行く過程の全て。その先。全ての人があるがままの陰影をよりはっきりと、だが自分がどちら側に立つかはその都度選べるという。その在り方が本当に自分自身を強くする。秋に変わるの?秋が楽しみです。