| 20160820 |


 7月の参議院選挙があってから、わたしの中ではいろんなものが大きく変わった。その変化は自分でとても好ましく、嬉しく、これからの自分を形作るために必要なアイデアの種みたいなものをたくさん生んだ。ソーシャルの先に能動的で創造的なポリティカルな要素、それが自分のいる地上に楽園みたいな場所を実現する最初の一歩だという気がした。つまりそれは可能なんだ!ということ。まったくどうでも良かったのだ、この国を作ったシステムが、誰によってつくられ、運営され、改良され、改悪され、国というのは人を救わないから。そう思って共感しない全ての集合意識を、自分と切り離して思考停止していたのだ。そして今、いよいよ共感しないシステムが瓦解する兆しが見えて来た時、じゃあ「反対派」と「賛成派」がどちらも納得出来る、クロスするゴール、どちらをも包括したビジョン、その第3の提案は何なのだ?それはまだ空気の中。気配の中。考える。小さく実現する。互いに相反する意見。ねじ伏せて、論破して、叩き潰して、自分のいかに正しきを証明するのか?でもそこには解消されなかったエネルギーが地縛霊のように残る。それは実際にはお互いにマイナスに影響し続けるのだ。違いは、違うからこそ、新しい第3のビジョンのが生まれる動機になる。新しいビジョンを提案出来れば、その為に実際に人が動けるなら、反対や賛成はそれを生むために意味があった。武力に対して、武力で解決出来ると考える考え方がありますね。これはつまりどういうこと?わたしはそう考える人に愛が足りない状態なのだと思いつき、そう思いついてみると、そのことを信じている人がいることにやっと納得が出来た。武力に対して武力で解決しようというエネルギーは、全く新しくない古い使い尽くされ続けたエネルギーだ。だけど、それで何が起きるか「知っている」グループが、そうじゃないムーブメントを広げかけている。武力は問題を解決しないと考えるストリームは、もしこれがムーブメントになれば、それは人類始まって初めての人類の新しい状態なんだもの、正しいか?正しくないか?ではなくて、新しい状態。「知っている」、何を?戦争の瞬間に立ち会った者は、死者も、生者も、勝者も、敗者も、魂が傷つくということを。地球が痛むということを。「武力の問題を武力で解決する」というセンテンスに、抵抗がない人と、そこにねじれ曲がった現実を感じる人と、断絶がありますよ勿論。そしてこれが今の世論の状態。これは「子供のしつけに殴ることが必要か」というのと似ていると思う。対象を恐れている、相手に自分のことを理解する能力は無いだろう、という設定を信じている。隣にいる愛する人と、調和の取れた関係を保てていますか。家族の中に調和を保てていますか。心地よく自分が過ごしやすい、相手が相手らしくあることを損なわない状態、地域の人たちと暮らしやすく健やかに過ごせていますか、問題やトラブルや世代間の不信の無い状態ですか。相反するエネルギーを傷つけ合うことなく昇華させる。パートナーと何か上手く行かない時は、いつもいつもチャレンジだし、いつもいつもチャンス。自分のいるコミュニティを人々の望む状態にすること、それがわたしが獲得した政治だった。その為の第3のビジョンを具体的にするプロセスが政治力。