尾道をさんざん一人でぷらぷらして、帰り。少し山手の方からしまなみ海道に入って緑の合間に海が見えた時、あのほっとする気持ちは「余白」だったからだ、そう思って、わたしは東京で余白が欲しかったんだと気づいた。島があって、それはヒトのエリア、海、それを余白として、その分量が、わたしがわたしの精神状態に気づくのにちょうど良い分量だった、本州はぎっちり情報が詰まっているのだ、詰まっている、そんなこと当たり前すぎて、自分がそのことに反応することに疲れていたなんて気づけなかった。海の余白の力、何もなさ、何も無いのに全部あるみたいな、砂嵐が全部の音域みたいな、それが胎内音と似ているみたいな、関係ありそうで無いみたいな、その許容。それは山ではなく海だった。だから海だったのか。そう思っていて『東京オアシス』を見たから、なんだかとてもよく分かった。けれどネットでレビューを見たら酷評されていた。ここのところふとふと昔の事を思い出す。初めてYくんに会った翌日のことなど。藍染めの当て布を刺し子していて、芝生に寝転がって見上げた夜の井の頭公園の空に似ていたのかもしれない。もっと前の10年前。わたしは誰だったかな?少し前の1年前。全然今と違う。その時関わっていた人たちが、その時のバージョンの自分を作った。もうすぐ2歳になるちびちゃんは、自分が何をしたら楽しいか、毎時知っている。わたしはほんの少し、子供の頃に見ていた世界を思い出している。自分の周りには手を伸ばせば楽しいものがいっぱいあって、片っ端から好きなだけやっていいのだ、色んな国に行きたい、色んな世代の色んな嗜好の人と友達になりたい、それは可能なんだと知っている状態。多分わたしには、才能は無かった、ちょっとのセンスがあった。0からクリエイトする力があった。だけど仕事にできるような、不特定多数の話す言葉を理解して不特定多数に理解出来るようにアウトプットする力が無かった。今はもう、わたしが表現したくてする表現に、他人からの評価がまったく必要ないのだということを知っている。表現したその後、何か見返りを期待するなんて卑しい事止めなよ。そんな風に純粋であるというだけでパワーがあるのに、せっかくの純粋なものをつまらなくしてしまうのを止めなよ、見返りを意識していたとしたら、その時はもう自分のムーブメントの芯の部分から離れているから、そんなこと本質的には無意味だし、せっかくムーブしたその瞬間の自分が可哀想だ。と、思って、完全に自分の「好き」だけで構築する時間と空間を、クリエイトすることを目指そう、もうこの次は。もうジャッジする人はいないんだし、成立しているかどうか?いいじゃないかそんな堅苦しいこと、何か意味のあるものをやろうと、自分が感動しようと、無理に形を作ろうと、力を入れて、しかし生ものでぐにゃっとしたもので出来ているんだ人間、この辺だって蚊に食われてるし、本当はわたしは展開の無いものが好きで、無意味な言葉の羅列が好きで、くるくる渦巻きが回っているだけのようなもの、ただ立っているわたしを見たけりゃ見てくれ、会いに来たけりゃそうしてくれ、話したけりゃ話してくれ、そう思って、そのことを目指せるくらい安心しているのか、もうわたしはこの土地に!
尾道をさんざん一人でぷらぷらして、帰り。少し山手の方からしまなみ海道に入って緑の合間に海が見えた時、あのほっとする気持ちは「余白」だったからだ、そう思って、わたしは東京で余白が欲しかったんだと気づいた。島があって、それはヒトのエリア、海、それを余白として、その分量が、わたしがわたしの精神状態に気づくのにちょうど良い分量だった、本州はぎっちり情報が詰まっているのだ、詰まっている、そんなこと当たり前すぎて、自分がそのことに反応することに疲れていたなんて気づけなかった。海の余白の力、何もなさ、何も無いのに全部あるみたいな、砂嵐が全部の音域みたいな、それが胎内音と似ているみたいな、関係ありそうで無いみたいな、その許容。それは山ではなく海だった。だから海だったのか。そう思っていて『東京オアシス』を見たから、なんだかとてもよく分かった。けれどネットでレビューを見たら酷評されていた。ここのところふとふと昔の事を思い出す。初めてYくんに会った翌日のことなど。藍染めの当て布を刺し子していて、芝生に寝転がって見上げた夜の井の頭公園の空に似ていたのかもしれない。もっと前の10年前。わたしは誰だったかな?少し前の1年前。全然今と違う。その時関わっていた人たちが、その時のバージョンの自分を作った。もうすぐ2歳になるちびちゃんは、自分が何をしたら楽しいか、毎時知っている。わたしはほんの少し、子供の頃に見ていた世界を思い出している。自分の周りには手を伸ばせば楽しいものがいっぱいあって、片っ端から好きなだけやっていいのだ、色んな国に行きたい、色んな世代の色んな嗜好の人と友達になりたい、それは可能なんだと知っている状態。多分わたしには、才能は無かった、ちょっとのセンスがあった。0からクリエイトする力があった。だけど仕事にできるような、不特定多数の話す言葉を理解して不特定多数に理解出来るようにアウトプットする力が無かった。今はもう、わたしが表現したくてする表現に、他人からの評価がまったく必要ないのだということを知っている。表現したその後、何か見返りを期待するなんて卑しい事止めなよ。そんな風に純粋であるというだけでパワーがあるのに、せっかくの純粋なものをつまらなくしてしまうのを止めなよ、見返りを意識していたとしたら、その時はもう自分のムーブメントの芯の部分から離れているから、そんなこと本質的には無意味だし、せっかくムーブしたその瞬間の自分が可哀想だ。と、思って、完全に自分の「好き」だけで構築する時間と空間を、クリエイトすることを目指そう、もうこの次は。もうジャッジする人はいないんだし、成立しているかどうか?いいじゃないかそんな堅苦しいこと、何か意味のあるものをやろうと、自分が感動しようと、無理に形を作ろうと、力を入れて、しかし生ものでぐにゃっとしたもので出来ているんだ人間、この辺だって蚊に食われてるし、本当はわたしは展開の無いものが好きで、無意味な言葉の羅列が好きで、くるくる渦巻きが回っているだけのようなもの、ただ立っているわたしを見たけりゃ見てくれ、会いに来たけりゃそうしてくれ、話したけりゃ話してくれ、そう思って、そのことを目指せるくらい安心しているのか、もうわたしはこの土地に!