| 20161107 |


 外に出て、1日に何回も「美しいな…」と感じることがあるのは、とても幸福なことだと思う。島の図書館で借りた日用品に関する本に、東京に住んでいた頃よく通った器屋さんの店主さんが写っていて、懐かしく頼もしく嬉しい気持ちになる。今月はライブで東京へ、楽しみなのでわくわく。買い物リストを書いて、ネットで下調べ、新しいものと、リピートするものと。こちらに住んでから友達になったお母さん達と、自分たちがしっくりくるケア(化粧品やせっけんなど)について情報を交換する。本当にシンプルな素材で、極力不必要なものを削いで過ごすことに、段々体が対応していく変化があって、シャンプーを止めたり、石鹸を止めたり、化粧水を止めたり、化粧はずっと昔に止めていて、科学物質を卒業して行く過程、それは強さであると思うのだけど、すごくマイノリティなのだけど、なるべく水も土も汚さないようにしたい。そうすることの美しさというのがあると思っていて、それに気づいていけるのは、そうしていて居心地が悪くないのは、島のいいところだなと思う。東京でモノにさらされていたから、物欲と、自分が集めてしまうのもが内面の反映であることと、不足しているような感情をいつも持ち歩いていることと、もっといいものがあるはずと比較して満足しないことなど、禁欲と反動など、コンプレックスの裏返しなど、モノにまつわる感情の蓄積が自分の中の豊かさにアクセスすることの必然になったのだなと思う。ゆくゆく役に立って欲しいし、きっとこの経験は役に立つだろう。島で手に入りづらいものを、自分が日常的に使いたいという思いもあれば、紹介したいという気持ちもある。それは確かに水や土を汚さないものでもあるのだけど、環境に対する配慮という以上に、自分の中の自然を受け入れることが心地良いと思っているからなんだろうな。環境問題とは自分の中の自然であるという発想を本で読んで、それが大分腑に落ちてきている。その状態の人って、やっぱり美しいんじゃなかろうか。日々悩みや苦悩は終わりが無いし、心の安寧はどこにあるのだろうか…と茫洋とした気持ちになるけれど、「今したいけれど出来ないこと」というのは品物を変えながらいつでもあるわけで、「目の離せいない子持ちのお母さん」をやりながら、目の前に出てくる喜びのつぶつぶをその都度味わっている様が、子供にとってはきっと良いだろう、と思いながら。