若者にさ、どうしてか小言言っちゃうの。たまーに。親心なのか、母性本能なのか、ただ結構きつい口調で言ってしまうので、口からするするっと出てしまうので、母性本能なのか、親心なのか、いい風に思っていたけどどうやら自分、イライラしている。イライラしていることに気づいて、どうやらいいものではなさそうだ、つまり「君は変わらなきゃいけない、君は今のままじゃだめだ=君はだめだ」って言いたいんだな、と思って、そのコミュニケーションは良い方向にいかないなあ…と、言った翌日しみじみ思った。心から思ったことを言っただけだったけど、翌朝も何か違和感として、自分が発言した記憶が嫌な違和感として思い出されて、何かが引っかかってる、何かが適切じゃなかったとどこかで気づいてる、と、そんなことがありました。『体蔑ろ系』の若者に、ついきつい口調でツッコミを入れてしまうの。それは体蔑ろ系の若者が鬱とか自傷とか自死とかに憧れているというかベクトルが向いているというか、そちらに向いていることを周囲にアピールするともなくしているように見えるというか、誰かに止めて欲しそうにしているというか、それが甘えているように見えてしまって、そのぬかるみが、ループが本当に嫌なんだったらわたしは解決策を知ってる、温かい質の良いものを食べること、お菓子みたいな食事と精神的な抑うつの因果関係をわたしは知ってる、だからアクションを起こせ、なんとか変われと思っちゃうんだけど、違うな、わたしは正しくなかった。そういう子たちが何かポーンと欠落していていたとして、その欠けた形を含めて肯定しなくちゃいけないな、と、思った。力で他人を変えることなんて出来ないんだった。それが良い方向だと自分は思っても。ただ傍で肯定して、そこから徐々に育った自発的な何かが、ある時次の一歩を、新しい方向に踏み出すのだ。でもそれを期待して待つのじゃなく、踏み出そうと踏み出さまいと、どっちを選択しようと、ただ待つことだけがピュアラブなのだ。教育や、医療や、体に良い食べ物について、色々なレベルで色々な主義思考があって、この世にはそれらの情報がジャブジャブと波打っているのだけれど、そのどれもこれも本当に本当に悪意があって意図的に他者を傷つける目的でその力(行使、情報の伝達)を使っている人は、ほんの一握りしかいない、ほとんどの人が良かれと思って、人の役に立つと思ってやっている、その裏側にある愛をわたしは理解したいし、そうでないならそのことに気づく信頼出来るセンサーをきちんと持っていたい。人の言葉に何か嫌な感じとか、違和感があった時、それはそのことについて自分の考えが成熟していない場合が多い。自分が新しい自分の気持ちや考えに気づく嬉しいチャンスなのだ。本当に、ほんとうに、ほんとー!!!に!!たった一つの正しい答えなんてものがない。今わたしは、心の底からそれを実感し始めている。それぞれの違った体と、それぞれの魂が見ている世界と、そこにフィットする方法がそれぞれにある、というただ、それだけのことなのだ。プロセスを共有することが全生物の財産になって、答え、ではない。答え、ではなさそう。
若者にさ、どうしてか小言言っちゃうの。たまーに。親心なのか、母性本能なのか、ただ結構きつい口調で言ってしまうので、口からするするっと出てしまうので、母性本能なのか、親心なのか、いい風に思っていたけどどうやら自分、イライラしている。イライラしていることに気づいて、どうやらいいものではなさそうだ、つまり「君は変わらなきゃいけない、君は今のままじゃだめだ=君はだめだ」って言いたいんだな、と思って、そのコミュニケーションは良い方向にいかないなあ…と、言った翌日しみじみ思った。心から思ったことを言っただけだったけど、翌朝も何か違和感として、自分が発言した記憶が嫌な違和感として思い出されて、何かが引っかかってる、何かが適切じゃなかったとどこかで気づいてる、と、そんなことがありました。『体蔑ろ系』の若者に、ついきつい口調でツッコミを入れてしまうの。それは体蔑ろ系の若者が鬱とか自傷とか自死とかに憧れているというかベクトルが向いているというか、そちらに向いていることを周囲にアピールするともなくしているように見えるというか、誰かに止めて欲しそうにしているというか、それが甘えているように見えてしまって、そのぬかるみが、ループが本当に嫌なんだったらわたしは解決策を知ってる、温かい質の良いものを食べること、お菓子みたいな食事と精神的な抑うつの因果関係をわたしは知ってる、だからアクションを起こせ、なんとか変われと思っちゃうんだけど、違うな、わたしは正しくなかった。そういう子たちが何かポーンと欠落していていたとして、その欠けた形を含めて肯定しなくちゃいけないな、と、思った。力で他人を変えることなんて出来ないんだった。それが良い方向だと自分は思っても。ただ傍で肯定して、そこから徐々に育った自発的な何かが、ある時次の一歩を、新しい方向に踏み出すのだ。でもそれを期待して待つのじゃなく、踏み出そうと踏み出さまいと、どっちを選択しようと、ただ待つことだけがピュアラブなのだ。教育や、医療や、体に良い食べ物について、色々なレベルで色々な主義思考があって、この世にはそれらの情報がジャブジャブと波打っているのだけれど、そのどれもこれも本当に本当に悪意があって意図的に他者を傷つける目的でその力(行使、情報の伝達)を使っている人は、ほんの一握りしかいない、ほとんどの人が良かれと思って、人の役に立つと思ってやっている、その裏側にある愛をわたしは理解したいし、そうでないならそのことに気づく信頼出来るセンサーをきちんと持っていたい。人の言葉に何か嫌な感じとか、違和感があった時、それはそのことについて自分の考えが成熟していない場合が多い。自分が新しい自分の気持ちや考えに気づく嬉しいチャンスなのだ。本当に、ほんとうに、ほんとー!!!に!!たった一つの正しい答えなんてものがない。今わたしは、心の底からそれを実感し始めている。それぞれの違った体と、それぞれの魂が見ている世界と、そこにフィットする方法がそれぞれにある、というただ、それだけのことなのだ。プロセスを共有することが全生物の財産になって、答え、ではない。答え、ではなさそう。