| 20200726 |


 夢を見た。バスのようなトラムのような乗り物で隣に座っている親子、娘の方は高校を受験するようで、それがわたしの母校だった。母校について、良いことを言おうとすると「…の街はいい街ですよ」と、最寄りの駅を褒めていた。目が覚めてとてもストレスを感じていた。中学高校について、わたしはまだ重荷に感じているものがあるらしい。幼稚園も、小学校も、中学も、高校も、大学も、東京で過ごした。仕事は、舞台の音楽を作曲する仕事だった。わたしはスタッフのなかで一番若かったけれど、学生のうちに仕事を始めたので、けれど音楽大学に通っていたので、俳優さんや女優さんたちに歌の指導をしたりすることもあった。「わたしは歌えない」という俳優さんも中にはいる。そういう人にも、ステージにおいては、本番で自信を持って歌い、観客からはプロに見えるように、短い期間でしなくてはならない。今思うとその指導の仕方は、長期的に見たときにそれが本当の歌手に対してであったら、不適切なものであったと思う。必要なのは、本番で力強く安定して歌えること、本番が終わったら声が枯れてしまってもいい、というような。わたしはその稽古場で、歌の指導を時々した。わたしの専門は歌ではなかった。けれど、そこでは歌が歌える人のように見られなくてはならないと思って、一生懸命頑張って一生懸命歌った。そうして、自分の、自然な声を見つける道から遠ざかってしまった。自分の通った中学高校について今感じることは、「自主性を重んじる自然な校風」の自主性と自然が巧妙だったということだ。一見自主性に任されているように見え、自由なように見え、実際はかなりぎちっと範囲が決まっていて、その中で走りなさい、そこからははみ出さないように、しかしその境目は大きな声では言われない。その罪深さとはどんなものか?罪があるだろうか?彼らは彼らの考えでベストを尽くそうとしていることは、今のわたしなら見て分かる。わたしの本質は魂の自由さだ。気付かない範囲で狭められていく自由度、固く削られていく魂の形、幼くて子供のわたしは自分に何が起きているのか分からなかった、不自由さを感じている、自由と書かれているのに、その穢毒のような不自然な環境が、その後わたしを長いこと無気力にさせたのだ。ああ、やっと分かった。広い原っぱで「好きに遊んでいいよ」と言われて、看板にはたくさんの禁止事項が書かれているというような。書かれている禁止事項は、それをする可能性が許されている状況でこそ、その禁止されている要項を含めた世界について理解することができる。初めからその選択肢を与えられないのであれば、考えてもいけないのなら、その部分にまつわる脳の成長とそこから広がる世界を静止させることになる。わたしは今、たくさん石の塊を持っているような気持ちなのね。それは宝石の原石で、それがいつ磨かれていつみんなに見せることが出来るのかわからないけど、ただただたくさん持っているという気持ち。若者が、すくすく伸び伸びと幸せそうに育った若者が、「夢がない」としょんぼりしているのを見て、ああ、「これをしていると時間を忘れて夢中になる」「これをしている時に快感がある」「これについて次々興味が沸き起こる」というような何かを、して過ごす時間を持たせないまま、この国の大人は何をさせて来たのだろう?何を勉強させてきたんだろう?「生きる」ということの中に、庇護されて生きる時間よりも、仕事をして生きる時間の方が長いのに、「自分の命は、何をして生きるか?」それを叶えさせるための学業なのに、いつまでも「準備中」の札を掲げさせて、会社が使うのに当たり障りのないように満遍なく準備をさせる大人の都合よ、そこで失われる個人のきらめきよ、その罪深さよ。大学の進路を決める時。「自分は将来どんな仕事をしたい?」高校のある時点で突然言われても何もピンとこない。だから逆算してそれまでに見つけられるように考えておく?そうじゃない。人は誰でも、本当は生まれる前に何をすべきか決めている。ただ勉強するんじゃない。無目的に授業に出席していればいいのでもない。「あなたの人生の仕事に、どんな風に役立つかな」と、最初の一文字目を教わる時から思っていて良いのだ。「全てはあなたの人生の仕事を達成する助けになる可能性がある。求めなさい、選ぶ権利がある。」。と言いつつ、自分の人生を振り返ると、どうしよう。わたしは自分の仕事で食べて来たことがない。でももしかしたらそれはマイナスの要素なのじゃなくて、最初から「自分を食わせることを仕事で可能にする」ということにテーマが無かったのかもしれない、自分を食べさせるのは誰でも、可能な存在に託して、純粋に「わたしが価値があると考える仕事」の価値そのものにフォーカスする力があったということなのかもしれない、遠回りせずに本質にたどり着けるために。わたしは今、以前じゃ考えられないくらい幸せなのね。以前じゃ考えられないくらい、落ち着いていて、問題がない。不安定だった色々な要素が、収まるべきところに収まってわたしを構成してくれている感じ。そして石をたくさん持っている。これからどうするんだろう?この石たちをどうにかするのに、わたしの人生の時間は足りるのだろうか。