楽しい気持ちですくすくと、迷いなく生きてきたここのところ。今日は「怒ってる」のピーク。「怒ってる」の裏側には、だいたい、「悲しい」が入っている。悲しい。どこを探してもこの悲しさを解決する鍵がない。インターネットのどこを探しても…って、そうそう。外の世界にはどこにもないのを思い出す。怒ってるのに気がついて、そうだった、まずは、ハーブティを淹れよう。そして、気持ちのいいインナースペースに行こう。海辺がいい。あたたかく、明るい岩場。石が屋根のようになっていて、ふかふかの敷物が敷いてある。晴れてるけど眩しくない。静かで、夢のように美しい波の色。一緒にいる人たち、ああ、わたしのためにハーブを摘んできてくれたのね。あなたは天使?ふたり?さんにん?いる。摘んだばかりのハーブ、そしてりんごも入れてくれました。心配…?心配…。わたしの中の、このしわしわは、固まって、これからどうなるんでしょう?このまま?愛せなくていい。愛さなくていい。愛さなかったわたしを愛していてもいい。でも、「愛する」には段階があるんだ、レベルがあるんだ、習熟がある。分かる。その通りだよ、分かる。自分の知っている愛しか、表現できない。その人は、自分の知っている愛で、愛したんだよ。それは愛さなかった訳ではなく、愛せなかった訳ではなく、それが、その人の知っている愛のレベルで、精一杯だという話だ。使っている言語が、わたしと違っただけ。みんな、それぞれ違うだけ。みんな、それぞれの自分の難易度で、自分のペースに合わせて、必要なことを、必要な順に習得していくだけ、外国語の習得とまったく同じに。愛という言語。はあ…何かが分かりかけてる。何かが満たされかけてる。三日月の入れ物に、水が注がれて満月に近づいていく。でもまた欠けてしまうのかな。行ったり来たりするのかな。繰り返すのか。それとも、満たされて、捨てていくのかな。いらないものを。古い皮を。不要な鎧を。価値を失った概念を。うん。その方がいい。身軽な方がいい。美しい、一枚の布のドレス。大切なものを運ぶ人の足取りは、笑ってるの、踊ってるの、泣いてるの、涙の跡が、でも歌ってるの、悲しくはない。清々しい感じ。地に足をつけている。裸足で歩く。ステップ踏んでる。土がつくのが気持ちがいい。そう、だからわたしはバレエを習ったんだった。地球のリズムを、足の裏から感じたくて。きれいな匂い。青い噴水。虹の雫のアーチ。薄明かりに踊って、だれもいない。若葉の囁き。トントントコトン。美味しそうな、食べ物の香り。ふわりと衣装が跳ね上がって、肌を撫でるとくすぐったい。それで笑っちゃうので、余計楽しい。グレーの空に三日月。太陽はどこにもないのに、空全体がほのかに明るい。しわしわを、真ん中に置いて、火で囲む。これは祭壇?分からない。なんかの儀式のように見えるけれど、そんな大層なものではない。焼かれちゃうの?水でもかけとく?水分が火で炙られて、少ししわが緩んだように見える。一体、何か意味があるの?固まった乾燥梅干しみたいな、外側が、砕けて散って、粉々になってあたりにばら撒かれた。芝生の上に、もう跡形も見えない。中の種のような部分から、菱形のクリスタルが出てきて、空中に浮かんでいる。グレーの空を背景に、篝火をちらちら映してきれいだ。クリスタルは…これは、これを、一体どうするべき?わたしのおでこにすーっと近づくと、おでこの中に、埋まって、消えた。これからはここにクリスタルがあるの?わたしの数秘の11。朝から鼻の奥の粘膜がわずかに狭くて息苦しかったのが、広くなったような気がした。1月11日。オーケー。これからはこの数秘の11のクリスタルで物事を見てみればいいのね。え?いつもじゃなくて、意図して使うのね?ええ、まず、わたしは愛されてなかったんじゃない。たっぷり愛されてたけど、それはわたしが使っている言語とは違っていた。わたしに彼、彼女らの言語が分からなかった。だけどそれは終わってしまったことで、よくある、この世界では非常によくあること。むしろ、それが学びを、この世界の科学を、知識を、学問を、芸術を生んでると言ってもいい。親と子の愛の言語が別であること。一致していれば、それは感覚的にすべてを学べてしまうから、言語化される必要がない。自分と親の言語体系が違うから、わたしは、自分の言語で、自分の人生で、自分なりに、自分でもがきなら、獲得しなければならなかった、それがあらゆる、世界ですでに築かれた叡智に細くつながっている。学問、技術、知識、芸術への愛。クリスタルは言語を超える。方法論を超える。翻訳機…トランスレイター…。ダイレクトに感覚に変換して脳に入れてくれる。金星の愛…このクリスタルは金星を知ることにも使えるの?…うーん、クリスタルを使った金星は…すぐ相手を裸にしてスキャンしてしまうから、色々と注意が必要。ははあ…それが11の魅力で、関わり方なんね…。わたしが会ったことない人には恋に落ちれなくて、目の前にいたら簡単に好きになってしまうのは、そういうことか。でも服で隠された嫌いな部分も次第に分かる。そして覚める。なるほど!こういう原理!興味、好奇心と、好き、知りたいが一緒くたになってるのね。きれいだなあ。もっと食べたい。…うーん…。カメラマンとか、そういう開示させる能力を活かせる仕事の人は、活用して生きていてもいいのかもね。でも実生活ではどうかな。初対面、から一歩、目を見て、すこーし開示する、相手も少し開く、ほんの少し特別な、個人的な、一瞬。その時しか起こらないライブ。思い出の1ピース。ああ。わたしはそれをすでに使っているな。わたしが立っている空間を媒体に、訪れた人へ、そういうお土産を渡す係。生身のハートに触れたら、嬉しいじゃんか。生身のハートに一瞬だけでも触れ合えたら、それって、その人とその人の間にしか起きない、特別でしょう?その特別な味を、いくつも味わいたくて、だからこの世界が楽しいんでしょう?でも粘膜と粘膜的なこととは違くて…なぜかというと、このクリスタルの11は、愛ではない。ただのレンズ。合意の元に覗いてしまったら、情報を知った責任がある。共にその情報を負う責任。だから情報と同じ重みで愛せないなら、その情報を見るべきではない。…なるほど…!!そのためのお金か…!!!関係を区切る。責任の範囲を区切る機能。…ん?そんなに都合よく割り切れる?いや、賢い人は割り切るんじゃないか?