| 20250120 |

 


気がつくと奥歯を噛みしめてる。痛い!頭の中に、いいたいことがいくつか並列していて、自分でどうにも収拾がつかない。キロンが太陽と合しつつあること。そのまえに土星とオポジションのこと。本当は年末にショパンのエチュードを録音したかったこと。人前で演奏して大コケしたこと。手がすっかり腱鞘炎になってたこと。そこで、子供の頃以来の手の癖を直そうとしていること。あんまりピアノが楽しくなくなっちゃって、でも明らかに音も良く、弾き方も楽になっていること。怒ってたこと。悲しかったこと。それは正月に帰省できなくて、妹に弁明したい気持ちだったこと。どうしてもお母さんが好きじゃない。でもそれはわたしのせいじゃない。だけど、ある日、額に新しく第3のクリスタルがはまって、愛しているとか愛されているとか愛せないとか愛されてなかったとか、割とどうでも良くて、平気になったこと。愛にはレベルがあるね。習熟度があるね、のこと。ミラーニューロンのこと。お風呂のシャワーでお湯が出ない話。感覚的に行っていることは、意識に上らない。意識に上らないと「ある」ことにならない。「ある」ことにならないことは、言語化されない。言語化されないと、人と共有出来ない。見たまま何でも出来るということは、ミラーニューロンの働きが良いということなんではないか。それは感覚的に行われているから、意識化というプロセスが無いのではないか。意識化されないと言うことは、それが「出来た」という達成感にもならないのではないか。わたしは水が滴るような文章が書けない。瑞々しい感性で文章が書けない。目の前にいない人に、恋に落ちれない。誰もいない時、わたしが一番近しくいるのは自分だ。目の前にいる人を感受するやり方で、わたしは他者と接している。すっかり自分が染まるやり方で、音楽を聴いている。ミラーニューロン。そう、そうか。めちゃめちゃ感受している。相手のトーン。相手のオーラ。相手の開き具合。相手のモード。そして相手が去ればカットアウト。それがわたしが持っている言語で、わたしが持ってる愛の言語で、わたしが自分の内面を構築するのに使う手段。どうしてもどうしても自分の中を、掘って掘って、地底に世界を作り上げてしまう。誰も入れない。だんだん、誰も入れなくなってるんじゃないか。だんだん、現実の世界と乖離しているんじゃないか。わたしが現実とを思うものを並べて、それが「世界だ」と言うとき、それは妄想を妄信している状態と、なんら変わりがないのでは。幻想に生きる、頭のおかしい人。頭の頑迷な人。どうしよ。それが、誰かに間違っていると言われても、さほど、関心が動かないのよ。「そいつはいけねえ、現実とすり合わせをしなけりゃ」と思わなくなってきてる。外の皆さんの信じておられる世界と、わたしが「世界だ」と思っているものが、全然、全く、ずれて別物になってしまっても、「だから何よ」「こっちの方が素晴らしい」と思って許容できなくなっちゃったら、わたしは、本当に、孤高の世界に入ってしまう!どうしよ!もっと、人と話して、人とまぜなくっちゃならないだろうか。世界を。自分を。