| 20250728 |


 ぶるぶる震えて取り乱してるから、助けてあげなくちゃいけないと思った。そうか。この子か。わたしは数日、逆毛がたってる猫みたいに落ち着かなくて、疲れて、そわそわして、怒りっぽかった。体が熱くて、倦怠感がある。石の暗い牢獄のような部屋に、ぼろぼろの白い布切れをまとった子は、「殺される」と言って落ち着きなく動き回っていた。どうして?そんなに?わたしの心の住所は、延々と続く崖のほとり。崖の下には虚無がある。いつからか、どうしてわたしはこんなに死のそばに住んでいるんだろう。どうして離れられないんだろう。だけど、ここだって良いことはある。遠くに明るい内地の騒めきが、風に乗って潮騒のように耳に入る。憧れ。羨望。手の届かないもの。生きているものの煌めき。ここは静かすぎる。固い土と虚無の気配しかない。わたしがその土地に囚われているのは、わたしが、基本的人権を尊重されないで育ってしまったからだった。すーっと、「もう生きてなくていいかな」と、こわばった体を、足の踏ん張りを解いて、力が抜ける瞬間がある。「あと30歩後ろに下がれば、落ちれる」。背後の虚無が甘く感じられる瞬間がある。それは、頭に血が登って、何かしらのエネルギーが体の中を充満して、行きどころがない、「あんたは、はいって言えばいいのよ」、その時、すっと虚脱する。なんだこれ。なんだこれ。ああ。もういっか。もうどうでもいっか。わたしは石の部屋にいる子に、何を言いたいのか、何がしたいか尋ねた。その子は「殺される」としか言わなかった。この子を殺すのはわたしだ。わたしが手放し、わたしが見捨て、わたしが殺してきたのだ。その子は恐れていた。わたしに殺されたくなくて、震えて、怯えて、憔悴していた。わたしが、わたしを諦めてきたのか。その子を強く守ろうとする意志を、力を、わたしは持ってこなかった。この子をここから出してあげなくちゃいけない。安心する場所に。この子の安心する場所。石の部屋を出ると、きれいな服に着替えた。白糸と金糸で刺繍されたシルクの固いジャケット。広いプリーツの、重くかっちりした形のスカート。光沢があって美しい布だけど、鎧のような雰囲気もある。手に長い柄の錫杖。ピラミッドのように階段上に組まれた台座のてっぺんに、きれいな椅子があって、そこに座った。ここが、彼女が守られていると感じられる場所。神殿のように、浄化された空間。白い屋根。白い柱。壁は抜けていて、美しい光に満ちた庭園が見えた。雲の上のような世界。あなたは一体、どういう役割?どういう名前?王、でも、女王、でもなく、皇帝みたいな縛られたポジションではなく、独立した存在。太陽の精。まだ子供のようなあどけない顔。わたしはこの方を守るために何をしたらいいんだろう。「ここは安心ですか」。ここは良い。「したいことはありますか」。庭が眺めたいな。一緒に庭を眺める。まるで高山のてっぺんにある庭園みたいに、雲と空につつまれて、外界はそれ以外のものがない。マチュピチュはこんな感じだろうか。でも、晴れていて穏やかで、何の音もしない。精は微笑んでいる。「わたしは死を恐れている訳じゃない。死のあとも、ここは変わらないからね。わたしは太陽の精。命の原料を燃やす者。この神殿は、開かれてもいるが、閉じてもいる。神殿を守る星々の機能は、太陽から受けたエネルギーをネットワークのようにやりとりしながら使うことで保たれている。神殿に、誰を迎え入れるか。それは慎重になって良いことなんだよ。神殿に入れない人を、どうもてなし、どう扱い、どう追い返し、どう過ごすかは、星たちがそれぞれの機能を発揮させながら行えば良いことなんだよ。神殿の閂は閉じられた。わたしはあるべき椅子に収まった。ここは、空に向かっていつでも遮るものが何もない。この空は、高次の空だよ。いつでも、いつでも祝福が降り注いでいる。いつでもここにきて、いつでも確かめればいい。星たちのことは、心配しなくてもちゃんとよくやっている。大丈夫」。わたしは、わたしの中に詰まった全部の話をして、全部の悩みを伝えて、全部の答えがここで欲しい、そのために全部の時間を使ってもいいと思った。そうしたいと思った。だけど、棒立ちのまま、何も手がつかない。中国で物乞いの子供に花をわたしに売ろうとして、同情心を感じたけれど、あとからあとから集まる子供たちに、わたしの善意は、彼らの何も変え得ない、果てしのない重さが、ふわ〜〜っと優しくのしかかった、あの時みたいに。手を出せば、束の間の秩序が崩壊するんじゃないかと思われて。わたしは泣いた。神殿でしゃくりあげて泣いた。とりあえず、したかったことの前で、できることがこれしかなったのだ。神殿のピラミッドの下に、白い布をかけた寝台を用意してくれてそこに寝そべって泣いた。小さな見えない生き物たちが、たくさんの花びらをわたしに降り注いでくれた。慰めようとしてくれている。目からじゃぶじゃぶ水が出た。頭がすっきりと軽くなった。ずっと何か詰まったように重たかった。わたしの頭は、泣けない涙が詰まってたんだね。しばらくして、温かいお茶が飲みたいと思った。太陽の精は、温かいハーブティと、焼き菓子を用意してくれると言った。つづく。