| 20260224 |


 インターネット上の自分がどんなに素晴らしく思えても、デジタルはアイデンティティにならない。そう思いついてみると、「なんだ、あたりまえじゃん」と思うのに、そのことの気づくのにどれだけかかったことだろう。デジタルは脳を育てない。経験とするには刺激が軽すぎる。育った脳だけがデジタルをツールとして扱うことができる。そんなのあたりまえじゃん!そんなことに気づくのにも、本当に長い時間かかってしまった。この身体がアイデンティティなのだ。ご飯食べて、目の前の人と話をして、自分の足が歩いている土地のコミュニティで過ごしている自分が、本当の自分なのだよ、その中にないものはない…まるで救いがないように聞こえるが…デジタルの自分は一時的な居場所になって、精神を保護してくれるかもしれない。それはそれで価値がある。でも最終的には、この肉体でもって、目の前の人と、コミュニケーションを取って生きていかなくてはならない。身体の方へ、還元しなくてはならない。アタマだけで生きていけないのよね。そんなのあたりまえじゃん。そんなことすら気づかなかったなんて…わたしはどれだけ身体をほっぽってきたんだろう。大きな神社へ旅行で行って、すばらしかったんだけど、大きなお寺にも行って、お寺と神社があまりに違うことに驚いた。神社は、地球のエネルギーの濃い場所を担っているように感じられる。グリッド上のポイントを扱っているというか…。人々は祈りや願いを持って神社を次世代に繋ぐ。その箇所とは圧倒的に人ひとりの持つエネルギーを桁違いに上回っているんだが、人が持つ意思の力、その濃密な濃さも、同時に感じる。お寺は圧倒的に喪、悲しみを背負いながら日常を生きることを苦しいと感じるのを、完全に許されている、閉じた場所。たちまちお香の匂い。市井の気配。しかし、それなのに、ぐるっと袋を裏返すと圧倒的広さの世界。そうか、魂だって自然物だ。天然の創造物だ、山とか川とかと同じ。どこまでも広く、宇宙と同じ広さを持っている、ひとりの魂。「そうだったでしょ」と提示するのが密教だったか。あなたの生きた喜びも悲しみも、あなた自身が「宇宙」だったことを思い出すためにあって、かつ、あなたのすべての遍歴が、この宇宙になくてはならないパーツなのでしょ。手の中で、ぐっと織り込んで宇宙を創る。無限の煌びやかさ。無限の果てしなさ。魂の扉の潜り抜けた先を見せてあげよう。そこには多次元の、ソース、がある。そして、誰もが自分の中に扉があり、自分はそこからしか入れない。…という、圧倒的なメディアに触れたせいか、PCの中で触れることのできるものが、とても小さくて軽くて頼りなくてつまらない。乗っかってるものが少ない!少なすぎる!もっと!もっとくれ!もっと分厚い情報を、わたしは受け取りたいし、わたしは発したい。えっと、あれ?それが、舞台?生身の人間に乗せることのできる情報量。生身の人間を目の前にして、全身で受け取れる情報量。この、両足のついている地面が舞台。いつでも魂から全てを発しているし、いつでも受け取っている。地球という天然の創造物が見る夢。その中にあって、わたしの魂という天然物が見る夢。ぶつかって、混ざり合って、より合わさって、今、何かの響きを発している。